相続トラブルイメージ

おじいちゃんが孫の私に残した唯一の遺言

私のおじいちゃんは昨年老衰のため亡くなりました。
90歳で男性としては長生きだったのではないかと思います。
小さいころから同居していた私は父親よりおじいちゃんになつくほどおじいちゃんが大好きな孫でした。
普段怒ることもありませんでしたし、危ないこと以外は注意されることもありませんでした。
とにかく私にも私の友達にもおじいちゃんの友達にも優しく、自分のことより人の事を優先して損をしてしまう、そんな人でした。
私はおじいちゃんが優しかったから好きだったのもありますが、そんな性格で人からも信頼されていた所が好きだったものです。
何かをする時、先の事をずるく計算するのではなく、本当に優しい心で人に接し、人のため、世間のために動くような人でした。
そんなおじいちゃんの傍で育った私は、おじいちゃんのような人になれなくても、おじいちゃんに認められるような生き方がしたいと思うようになりました。
おじいちゃんに見られても恥ずかしくない生き方をしたいと思うようになったのです。
それは言葉では簡単ですが、実際行動に移すのは私には容易なことではありませんでした。
若いころはお金が欲しいと思った時期もありましたし、自分より人を優先して生きることなど無理だと思っていたころもありました。
しかし実際の行動が誰にでも優しくできなくても、心のどこかでそうありたいと思う理想像を持っているだけで十分だと気付いたのです。
自分の優しくない行動が間違っていると気付きながら生活するのと、まったく気づかずに人に優しくできないのでは違うと思うようになりました。
例えば電車で疲れて帰る時、同じように疲れた人に席を譲ることができなくても、心のどこかで罪悪感があれば次には優しく出来ると思うのです。
それを当たり前のような顔をして座っている人とは違うと自負していました。
そんな私の心を見抜いてか知らずか、体調を崩したおじいちゃんが私に遺言として残した言葉がありました。
それは全てを完璧に出来なくても、気づいたときに人に優しくすればいいんだよというおじいちゃんらしい優しい言葉でした。
全てを完璧にしようとすると優しくしてあげることが自分の負担になり、知らず知らず相手に感謝の気持ちを求めてしまう。
それでは意味がないから、自分の心の余裕のある時や助けてあげたいと思った時に思いっきり優しくしなさいという事でした。
それは私にとっては目から鱗の言葉でしたが、今はなんとなくその言葉の意味がわかる気がします。
相手に何かを求める優しさは違うと言うことなのです。
おじいちゃんの遺言は言葉は少なかったのですが、私の人生においては一番大事なこととして胸に刻まれることになったのです。

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