相続トラブルイメージ

大好きな祖母からの遺言

私の実家は親戚一同で小さな町工場をしていました。
母方の祖父が社長で、私の父と母、叔父や叔母、祖父の兄弟等がその工場で働いていました。
当時は仕事がとても忙しかったようで、父も母も夜遅くまで働いていたため、私にとって母親代わりだったのは祖母でした。
祖母は躾に関してはとても厳しい人でしたが、何時も優しく笑顔がとても素敵な女性でした。
そんな祖母のことを私は大好きでした。
祖母は、私が小学校から帰ると毎日、手作りのおやつを準備してく、宿題を見てくれました。
そんなある日、宿題を見てくれている最中に祖母が身体が痛いと倒れてしまいました。
私は焦り、直ぐに工場に行き母と祖父を呼んできました。
祖母を直ぐに車に乗せ母が、病院に連れていきました。
検査結果は、癌でした。
既に転移もみられ、余命宣告をされていたようです。
ですが、私がそのことを知ったのは祖母が亡くなった後でした。
祖母は抗がん剤の治療の時も、手術の時も、私に弱音を一度も吐いたことはありません。
それどころか、何時も笑顔で笑っていました。
薬の副作用で髪がなくなってしまった時も、笑顔で「どんなカツラにしようかな」と言っていました。
そんな風に前向きに病気と闘う祖母は、子供ながらに「かっこいい」と感じていました。
そして前向きに立ち向かうことで、全身転移していましたが、それから祖母は10年も生きました。
その間に医師に了解をもらい、様々な地に一緒に旅行に行きました。
しかし、そんな日々にも終わりは来ました。
祖母はもうとれる臓器の殆どを取りつくし、手術のしようがないと医師に言われてしまいました。
医師から「これが最後の外出許可でしょう」と言われた日、私は祖母を車に乗せ初めて2人でドライブをしました。
行先は海でした。
祖母は海が昔から大好きでした。
最後に大好きな海を見せてあげたかったのです。
祖母は海につくとすごく嬉しそうでした。
車いすであったため、砂浜に降りることはできませんでしたが、とても喜んでくれました。
そして、祖母が「おじいちゃんをおいて死ねないよ。あの人はとても不器用な人だから、私が傍にいてあげないと。遺言だと思って聞いて。私が死んだら、朝晩必ずおじいちゃんのところに顔を出してほしい。何も話さなくても良い。挨拶だけで良いから。」と初めて私の前で泣きながら言いました。
私は「もちろん」と涙を我慢しながら言いました。
そしてその1週間後に祖母は静かに息を引き取りました。
私は、それから毎日、仕事の前に祖父の家に行き、終わると今日の仕事の内容を祖父に報告するようになりました。
しかし、それもたった3か月だけでした。
祖父は祖母と同じ病気だったのです。
後を追うように亡くなってしまったのです。
3か月の間にたくさんの話ができたことは、私にとってとても幸せな時間でした。

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