相続トラブルイメージ

祖父が私にくれた大切な遺言

私の祖父が亡くなったのは5年も前のことですが、今でもそのときのことを思い出します。
東京で仕事をしている私に連絡があったのは暑い夏の真っ盛りでした。
実家の父からの電話で、新幹線に乗って帰郷すると、客間では祖父が寝かされていました。
「孫をつれてきとくれ」と言われ、一番最初に駆けつけたのが姉で、姉は連れてきた自分の子供と共に台所で母や叔母たちと話をしていたようでした。
祖父に会うと、もうほとんど見えない目で私をみやると少しだけ元気を取り戻したのか、首を枕から起こそうとし、東京での調子はどうか、結婚はできたかなどと話しかけてくれました。
大丈夫だよじいちゃんと私が言うと、そうか良かったと応え、水をくれと言っていました。
これが末期の水になるんじゃないかと思い、ミネラルウォーターをもらってきてそれを飲ませてあげると、ありがとうありがとうと言いながらゴクリとコップ一杯飲み干したのでした。
祖父のほとんど見えていないという目には涙が一粒みえました。
祖父は頑固な人でしたが、感謝することは子や孫に大事だと教えてくれたため、私も社会に出てから人に感謝を伝えることで好感が持たれた自負があり、これも祖父の厳しいしつけの賜物だなと思っていました。
その感謝の気持ちをこめて、祖父の手を握りありがとうといいました。
私の目にも10数年流してなかった涙が浮かんでいたのです。
その夜祖父が亡くなりました。
通夜が営まれ、私たち孫一同は準備に取り掛かり、参列者たちにもありがとうありがとうと言って頭を下げてしめやかに式に臨んでいました。
母である祖母を早く亡くした父や叔母は、男手ひとつで育てた祖父を最愛の父親だったといって、お見送りの時に涙をながしながらも明るいエピソードを交えながら語ってくれたのが印象的でした。
私も祖父のことが大好きだったので、その元気だった頃の姿を思い浮かべながら葬儀の間にやさしい気持ちでいられたのでした。
庭で走り回る姉のこどもたちは曽祖父である私の祖父と思い出があまりないと思いますが、庭についているブランコで遊んでいるのを見れば、それを設置した当時の祖父と父の姿が目に浮かんで、思わず涙が零れてしまいました。
子供たちのために、なんでもしてくれた良いおじいちゃんだったのです。
後日、遺言状は弁護士によって開封され、少しだけ遺産をもらうことができました。
でも何よりの遺産は、祖父がくれた「ありがとう」を大事にする気持ちなのだと思っています。

Copyright(C) 2010 ゆいごん.com All Rights Reserved.