相続トラブルイメージ

遺言を言い出せなかった母親

私の母親は既に故人である。
もう三回忌も過ぎたので、母を偲ぶ行事も減ってその分思い返す事も減っていく。
そんな母親の事で遺言が無かった事をふと思い出した。
病気で死んだ母。
所謂白血病であるが、数年闘病してからこの世を去っている。
つまり、遺言を考える時間はかなりあったと見てもいいだろう。
病気が病気だし、後期の頃には「これはもう駄目かも」と思う事も多かったと思う。
実際、病院に運ばれて動けなくなる一週間前に自分に電話してきた時だって意識ははっきりしていたのだ。
その頃にはかなり症状が表に出ていたから、覚悟を決めて遺言を残す事もできたはずだ。
結局、母は自分が亡くなった後の処理を全くせず、この世を去った。
その手の事は母を懇意にしていた親戚と自分の兄が葬式と平行して行ったようだ。
母が未処理で残した負債も出てきてそれが自分と兄を悩ます事になるのだがそれはそれで別の話となる。
結局、遺言というものは自分が何時か死ぬと認識した上で、その後残された人達がいらぬ混乱や諍い、または負債が残らないよう処理する為に残すものだ思う。
それが自分が愛した夫、子どもたち、親類親戚であれば尚更だろう。
その点で母が何故まだ余裕がある内に書いて憂いが残らない様にできなかったのか、不満が無かったわけじゃない。
せめて、自分の余命が危険に晒されていると自覚したら、その内に処理できない事は残された者達に伝えて予め対応するよう念押ししておくべきではないだろうか。
それができなかったが為に負債がいきなり出てきて残された息子2人にとんだ手間と苦労を残す事になる。
葬式という忙しい合間に一々残された物の始末を考えるという負担を残される者達に残してしまう事になる。
もし、何かの間違いで母が枕元に立った場合、私が尋ねる質問はまさにこれだろう。
個人的に人間が死ぬ時に必要なものは、飛ぶ鳥跡を濁さずである。
綺麗さっぱり、短期間で自分の死というものを処理できる様にし、葬儀やらなにやらで疲れているであろう家族親戚に負担を残さない。
故人がらみで愚痴るのも身内で諍うのも全くをもって精神的によくない行為だ。
それらを抑制しスムーズに解決させる為の手段の1つ、それが遺言だと私は思っている。
それを行う猶予と時間があったのに、やらなかった母。
私が故人を責めるとしたらその点なのだ。
母が亡くなった後、母の住んでいた部屋に入った。
そこにはその年の目標や個人的な抱負が書かれていた。
その年のその状況に至ってまで、母は自分が死ぬ事を想定してなかったのだ。
それを迂闊と思う私は、多分冷たい人間なんだろうなと自嘲している。

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